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2013年 2月27日


背戸牧師
 命は時間
 あるテレビ番組によると、昨年1年間の自殺者数は2万7,766人でした。1日にすると毎日70人の人が亡くなっていることになります。なんとかそれを防ぐ方法はないかと話し合っていました。

 一人一人にそれぞれの事情があり、状況があり、悩みがあり、苦しみがあります。せっかく与えられた大切な命を大切にするだけでなく、毎日を生き生きと輝いて生きて行けたら幸いだと思います。

 現役最長老の日野原重明先生は101歳でお医者さんをしています。小学生に命の大切さを教えたいと「命の授業」を行うために全国の小学校をめぐり、話の理解できる高学年を対象に授業を行っています。

 「あなたの命はどこにあると思いますか。」という日野原先生の質問に対して小学生たちの多くは「心臓」を指します。

「それは血液とか酸素とか栄養を脳にそして内臓や身体の隅々まで送るポンプであって、確かに大切な臓器ではあるけれども、命そのものと言う事は出来ないのではないか」と日野原先生は指摘されます。

 実は「命は時間なのです」と。

 時間も命も目には見えませんけれども、それを使うことができる。その時間の使い方が命の使い方であって命の使い方が時間の使い方なのです。

 言うなればその時間をどのように有意義に素晴らしく使っていくかということを日野原先生は命の授業で教えておられます。

 「生まれてから死ぬまでの時間」は人によって違いがあったとしても、皆等しく与えられています。

 その時間をどのように使うかということが命をどのように使うかということになます。

 日野原先生は小学生たちに言います。「あなたたちは今勉強や遊びにたくさん時間を使います。でも大きくなったら自分のことだけでなく、世界の困っている人たちのために使うということをぜひ考えてみてほしい。」

 そのような時に自分の命も輝いて喜びが与えられ、自分の時間を使って、自分の命を使って、愛を希望を勇気を与える。

 このように何かをする事はその人をも生かすことになるので、自分のためだけではなくて、人のためにも自分の時間を使うことをぜひ考えてほしいと思います。

 世界のベストセラーである聖書は私たちが素晴らしく生きること、最も幸いな命の使い方とは何かを教えています。

 聖書は私たちに命を与えてくださった神さまに感謝し喜び、そして神の栄光を現すために私たちは生かされていると言います。

 神は愛であると聖書は語ります。いつまでも変わらない愛をもって私たちを愛してくださいます。

 その神様の素晴らしさ、神様の愛を現していく、そういう生き方こそ、与えられた命の最高の使い方であると言えます。

 誰もが世界を動かすようなマザーテレサのような偉大な命の使い方ができるわけではないと思います。

 多くの場合、有名になるというわけではなくて、1人の主婦であったり1人のサラリーマンであったりと平凡な人生を送るかもしれません。

 それぞれの置かれたところで、それぞれが与えられた命を大切にして生きていくことが重要ですね。

 「受けるより与える方が幸いです。」 「友のために命を捨てるというこれよりも大きな愛は誰も持っていません。」とイエスは言われます。

 キリストという方は文字通りそのように語られただけではなくて、私たち全ての者の身代わりとして命を捨てることにより愛を示し、そして虚しい人生を進み、滅び行く私たちを救うために、ご自分の命を十字架に犠牲にして神様の愛を私たちに現してくださいました。

 キリストの愛をいっぱいに受け、自分だけではなく他の人にもその神様の愛を、素晴らしさを映し出していくような最高の命の用い方ができるようにと聖書は教えてくれます。

 自ら命を絶つという悲劇、たとえどのような状況や苦しさや悲しさがあったとしても、それに打ち勝つ力を神様が与えてくださるという約束を信じ、神様の恵みによって、一人ひとりの大切な命が豊かに輝いて生きていくことができるように願います。

 ベストセラー小説「置かれた場所で咲きなさい」(渡辺和子著)のように、自分が自分らしく、一人ひとりがそれぞれに与えられた花を咲かしていく、そのような素晴らしい道をともに歩んでいきたいと思います。


命は時間