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2013年 7月24日 |
バイブルスタディーという時間、永遠のベストセラー聖書の中から皆さんに聖書の言葉を紹介する時間をクワイアの中で持っていきますが、今日は聖書の中のイザヤ書43章4節というところをお読みします。
「わたしの目には あなたは 高価で尊い。
わたしは あなたを 愛している。」
世界中で最も多くの人たちに読まれている隠れたベストセラーである聖書なのですが、聖書の中に神様が私たち一人一人に語りかけてくださる言葉として私たちは受け止めていきます。
私たちを造り、そして私たちを生かしていてくださる創造主である神様が私たち一人一人をどのように見ていてくださるかということを教えてくれる、とても素晴らしい聖書の言葉です。
まず第一に、あなたには価値があると神様が言っていてくださっているということですね。
一人の女性が、整形外科のお医者さんの所へ来ました。とても美しく見える素敵な女性のようでしたが、もっと美しく見えたいということで、鼻が高くなる手術をしました。
その手術は成功して、彼女は満足して帰って行きました。
しかし、数週間した後で、彼女はまたお医者さんの所へやって来て、「どうもこの手術はうまく行かなかった。私はどうしても綺麗になったとは思えません。」と文句を言ってきたということなんです。
しかし、彼女の問題は、顔が整ってとか、鼻が高くなってということよりも、彼女の心の内にある問題の方が大きかったのだろうと思います。
鏡で見ることのできる自分自身の姿というよりも、自分自身を自分がどういうふうに受け止めているか、思っているかということが、外から見える自分になってしまっているということです。
自分自身をありのままでは愛することができない。自分は嫌いだ。というふうに、素直な、ありのままの自分を受け入れられないことが、私たちにもあるかと思います。
しかし、神様はまず最初に、「わたしの目には あなたは 高価で尊い」と、教えてくださっています。
また、第二番目には、「あなたは神様にとって、特別な存在です」と、語りかけていてくださいます。
特別な存在、とても重要な大切な存在。英語では、
Very Important Person = VIP ですけれども、VIPというのは、特別待遇、特別扱いをされるという特別な人のことですね。
一般的には、有名な人、アイドル、映画スター、超一流のスポーツ選手など、いわゆる、この世界で非常に優秀な人、成功した人、そういう人を特別な人と見て、特別待遇をするわけです。
一方、そうではない、自分自身の姿を見て、本当に私には何もできない、そんな自分の価値を認めることはできない、という思いになってしまいます。
しかし、神様は私たち一人一人を特別な存在、Very
Important Personと見ていてくださいます。
それは、神様が私たち一人一人の人間を価値ある存在として造ってくださった。
一人一人の命を大切な存在として、神ご自身が造ってくださった。
神様が造られた最高の作品、それが私たち人間だと聖書は教えているわけです。
色々な芸術家とか音楽家とか、アーティスト達は、色々な物を作り出しますけれども、これは最高の作品だというものは、特別に大切にします。
「神は天地万物すべてを造られ、そして私たち人間をも神の形に作られた。神様の創造物の中の人間は最高の作品だ」と聖書は私たちに教えています。
それゆえに、神様は私たち一人一人を特別な存在として大切に見ていてくださいます。
そして、「わたしの目には あなたは 高価で尊い。
わたしは あなたを 愛している。」
神様は私たち一人一人を愛してくださっている、愛の神であると、聖書は教えてくれています。
私たち一人一人を支え、強め、勇気を与え、生きていく希望を与えてくれるもの、それが愛だと思います。
しかし、その愛によって私たちは傷付いたり、傷付けたりして、悩んだり苦しんだりしてしまう現実があるのかと思います。
それは、私たち人間の愛が、どうしても条件付きの愛であるからなのだと思います。
私たちが本当に必要としているのは、ありのままの、この私を受け入れてくれる真実な愛、無条件の愛だと思います。
「わたしは あなたを 愛している」と言われる神様の愛こそ、無条件の愛、与え尽くす愛であると、聖書は教えています。
しかし、神様は「あなたには価値がある、あなたは特別な存在」、そして「わたしは あなたを 愛している」と言っていただいているのですが、現実の自分自身の姿、あるいは心の中、自分の生き方を見ると、本当に自分で、良いとか、素晴らしいとか、自分の価値を素直に認めることができないような自分の姿、あるいは醜さとか、汚れとかが無いかどうかと、自分自身の心を探ります。
それは、「神様が造ってくださった本来の人の姿から離れているのだ」と聖書は語っています。
神様が私たちを、愛をもって価値ある存在として造ってくださった本来の姿から離れた生き方をしてしまっている。
神様に背き、神などどうでもよいという、自分中心の、自分勝手な生き方をしている、そういう時に私たちは、
神様が本来、造ってくださった価値ある、大切な、そして愛されている存在としての生き方ができなくなってしまっています。
自我の強い私たち人間同士が、様々な形でぶつかったり、傷付け合ったりすることが生じてしまいます。
聖書では、「神を信じないで、勝手に生きていくということそのものを罪」と言っています。
キリスト教会では、この十字架がシンボルのように掲げられています。
十字架は、イエス・キリストが、すべての人の罪を赦し、清め、新しい命を与えるために、命を捨ててくださったと聖書は教えています。
そのようなイエス・キリストを心の中に迎え、人生の真ん中に迎えて、まったく新しい心、新しい命を生きることを神様が望んでおられることを聖書は私たちに教えています。
神様に高価で貴い存在として造られた、そして価値ある、愛されるべき存在として造られた私たちでありますので、本来の私たちの姿に立ち返って、神様の愛と恵みと祝福の中に生きるようにと私たちにも教え、勧めています。
ゴスペルの言葉を見れば分かりますように、神様の素晴らしさをほめたたえたり、神様が様々な試練、困難の中でも、この私をけっして見捨てないで愛して導いてくださる、助けてくださる、という言葉で、心から神様への賛美を歌ったり、神の愛や恵みや慰めを感謝したりしています。
そのような素晴らしい神様をほめたたえる歌、そして神様の愛や守りや恵みや励ましを心から感謝して喜んで歌っていく素晴らしいゴスペルです。
これからも皆さんとご一緒に歌って行けたらとても嬉しいことです。
是非、この聖書の言葉も心に留めてくださると幸いです。 |
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